「裁判員」参加、消極的な人増える…内閣府調査

国民が刑事裁判に参加する裁判員制度で、約65%の人が裁判員として参加する意思を持っていることが1日、内閣府が発表した「裁判員制度に関する特別世論調査」の結果で分かった。
 ただし、「義務なら参加せざるを得ない」とした約44%を含んでおり、「義務でも参加したくない」も約34%だった。2009年の制度開始を前に、国民の多くが参加に消極的である実態が浮かび上がった。
 調査は昨年12月、全国の成人3000人を対象に行い、1795人が回答した。
 「裁判員制度に参加したいと思うか」の問いでは、「参加したい」、「参加してもよい」が合わせて約21%で、05年2月の前回調査からは約5ポイント下がった。前回は「あまり参加したくない」、「参加したくない」が計約70%。今回の調査は回答項目が異なり単純比較できないが、「義務なら参加せざるを得ない」、「参加したくない」を足すと約78%で、参加に消極的な人は増えていた。
 「裁判員制度を知っているか」の問いでは、「知っている」が約81%で前回よりも約9ポイント上がった。不安に感じる点(複数回答)では、「被告の運命が決まるため、責任が重い」(約65%)、「冷静に判断できるか自信がない」(約45%)が多かった。
(2007年2月1日19時49分 読売新聞)


読売新聞より。
 この数字をどのように評価するかはともかくとして…裁判員制度に関する周知や報道を見ていると、「決まったことなのだから、それに負担もできるだけ軽くするので、とにかく参加してください」という方向性のみで裁判員が説明されているようにも思えます。国民が司法に参加することにどのような意義があるのか、そして裁判員は具体的にどのような意義を持ているのか、より明確かつ説得的に伝えることが重要なのではないかと思うのですが… 
 「できるだけ負担を軽くするので、我慢して参加・協力してください」という方向性だけでは、「刑事裁判への国家総動員」といわれても仕方ないような気がします。
 このような裁判員制度の性格は、今回の司法改革のいろいろな点に現れているように思います。
 例えば、今回の裁判員制度は、「国民の司法に対する理解を深める」ことにあるとされています。しかし、「司法への理解の促進」という副次的効果が直接の目的としてあげられていることに問題はないのでしょうか。関心がなくてもいいから、とりあえず刑事裁判に参加してもらって、その中で刑事裁判への理解が深まれば、なおいいですね、というのは被告人だけでなく被害者などの運命をも左右する刑事裁判という制度を考えるとあまりに無責任という気がしますし、単なる動員とどう違うのかという疑問もあります。
 また、今回の司法改革では、基本的に現在までの刑事裁判制度には問題はないけれども、今後の日本という国のあり方も考えて、裁判員を導入しましょうという考えが根強いものです。この点も、見かけの「刑事裁判制度の正当性」根拠づけるために国民を刑事裁判に参加させようとしているのでは、という考えも成り立つように思います。そして、現在の刑事裁判を具体的に見ると、まだまだ問題が多いことは、今話題の「それでもボクはやっていない」においても明らかなような気がするのですが…
 まだまだ課題は多そうです。

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