大麻所持で東京・大田区職員を逮捕…栽培の疑いも

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061022i203.htm

神奈川県警茅ヶ崎署は22日、東京都大田区総務課職員、宮崎義一容疑者(52)(同県茅ヶ崎市東海岸北)を大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕した。

 調べによると、宮崎容疑者は同日午前、自宅にビニール袋入りの乾燥大麻(約4グラム)を所持していた。自宅からは吸引器具のほか、大麻栽培に使ったとみられる鉢も見つかり、同署は栽培していた疑いがあるとみて追及する。宮崎容疑者は「自分で使うためだった」と供述している。

(2006年10月22日19時44分 読売新聞)

 読売新聞より。
 近年、公務員の不祥事や税金の浪費等が取りだたされるのをニュースでよく見ます。これらの事件に対する批判は、それぞれにお任せするとして、今日は、ちょっと話は飛びますが、刑法理論の立場から見てみようと思います。

 最近の刑罰論(刑罰の本質や正当化根拠などに関する議論)で多く論じられているものとして、「積極的一般予防論」というものがあります。
 この考えは、刑罰の存在によって一般国民が犯罪に走るのを防ごうという一般予防が消極的一般予防といわれるのに対し、刑罰を科すことによってその対象となった行為は行ってはならないという「規範」を確証しようというものといわれます(もっとも、積極的一般予防論は、社会の規範のアイデンティティを確認することも目的とするものであルという見解も有力です。私もこの見解の方が妥当だろうと思います。しかし、一般的に広まっている認識をここでは引用します)。
 現代社会の状況、特に慣習や習俗といった社会規範の低下によって犯罪予防が困難になってきた、という背景も存在するように思われます。

 このような「積極的一般予防論」については様々な批判がなされてきました。この理論によれば、これまで刑法が任務としてこなかった部分も刑法の任務とされてしまいます。今まで、社会規範が防止してきたかもしれない犯罪につながりかねない行為をも刑法の対象とされるわけです。その意味で、刑法は今まで以上に「前傾化」し、また今まで以上に「厳罰化」されることにつながるのではないかといわれてきました。

 このように、刑法の前傾化・重罰化につながるという「負の側面」が批判されてきた積極的一般予防論ですが、次のようにも言えるのではないでしょうか。刑罰の目的が「規範」の確証を目的とする以上、それは「規範」の確証にふさわしいものでなければならないということはいうまでもありません。それは、刑罰の内容だけでなく、その刑罰を科す手続、刑罰を科す者も、「規範」の確証にふさわしいものでなければならないはずです。
 それでは、例えば、違法な捜査によって獲得された有罪に科された刑罰、違法な行為を乱発している国家によって科された刑罰というものは、「規範」の確証にふさわしいものなのでしょうか?
 「規範」を確証することを目的とする以上、その手続や執行者は「規範」にのっとっていなければならないということは間違いないでしょう。その「規範」とは憲法31条以下に示されている刑事手続に関する憲法的権利であることはいうまでもありません。形式的に見て憲法の要求に反さないから…という形で様々な捜査が現在容認されています。真実発見という結果が、多少の違法行為をも正当化するという風に私には見えますが、このような手続が「規範の確証」にふさわしいのかについては、相当に疑問です。
 刑法の前傾化や重罰化という面では、私も「積極的一般予防論」には疑問なしとはしませんが、このように刑事手続への影響も考慮していく必要もあるのではないでしょうか。